いろいろ考えるブログ

いろいろあるよね

おっぱい考

わたしは巨乳が好きだ。

おそらく、世の中の多くの男性はおっぱいが大きいに越したことはないと思っているだろう。
そこで、なぜ世の男性はおっぱいが大きい方が好きなのかを考えてみた。

私が考えついた結論はこうだ。

おっぱいが大きいということは、乳腺が発達しているということ。
乳腺が発達していると母乳がよくでる。
母乳がよくでると、乳児を成長させることができる。

すなわち、子孫を育て残していくのに有利な巨乳を本能(遺伝子)的に選んでしまうのだ。
巨乳好きは遺伝子の仕業であって、決して変なことではないし、まったく恥ずかしいことではないのだ。

いやいや「私は貧乳が好きだけどそれはどう説明してくれるんだ」といわれる殿方もいると思う。

貧乳好きも一定の割合がいるのは事実だ。
実はこれも説明がつく。

もし、世の中の男性がすべて巨乳好きだった場合、数少ない巨乳の争奪戦が始まるだろう。
その競争に負けた男性は、生殖する機会を失ってしまう。
これは種の存続にとってはマイナスだ。

一方、貧乳好きは、競争率が低いニッチな市場(貧乳市場)で、生殖し放題になる。
これは生存戦略としてありだ。
その結果、貧乳好きの遺伝子は残って、ある一定の貧乳好きは残っていく。

ここまで、巨乳好きと貧乳好きの市場を見てきたが、おっぱいを語る上で、中間サイズの乳の市場も見逃せない。

中間サイズのおっぱいの存在意義は、巨乳好きと貧乳好きの両方の欲求を満たす可能性があることだ。
どちらか一方ではない中庸のカテゴリ。

巨乳市場、貧乳市場での競争に敗れた男性が、このカテゴリを選ぶ。
女性側からしてもここの市場にいるメリットは大きい。
巨乳好きと貧乳好きの両方を相手にすることができ、子孫を残す機会を十分に得ることができるからだ。

最初の議論に戻ると、巨乳は母乳が豊富にでる可能性があるので、子孫を存続させる可能性が高くなると書いた。
であるならば、巨乳と巨乳好きの割合は増えつづけ、不利な貧乳と貧乳好きは減っていくていくことになる。
が、現代には粉ミルクの存在がある。
なので、貧乳であろうとも巨乳であろうとも、乳児の成長にあまり影響がないと思われる。
すると、そこで生存の淘汰が起こらないので、貧乳はなくならない。

おっぱい多様性は、今後も守られると思うので、男性は自分の欲求に素直にしたがって、トライしたらいいと思う。

話が薄っぺらに感じる理由はなんだろう

たまに、人と話をしていると、なんか聞いたことがある話だなと思うことがある。
ちょっとでもそう思ってしまうと、その先の話が頭に入ってこない。

偉い人が言ったこととか、世間一般に言われていることはたしかにその通りだと思う。
ただ、それを当たり前のように話をされると本当か?本当にあなたはそう思っているのか?
と思ってしまう。

これは自分にも大いにあてはまるので、気をつけたい。
たとえばセミナーや書籍で情報を得たとする。
それを、まずはそのまま話をしてみる。
すると、たいていすべる。
自分でしゃべりながら恥ずかしくなってくる。
なんかふわっとして、自分の中に落ちてない感じがする。

これは情報をうわべだけ知っている状態だから。
自分でその情報について考え、体験して腹落ちしていないからだ。

でも、これはいいことだと思う。
話をするとそこに何が足りないかがわかるから。
しゃべってみて初めて、いま言ったこと本当にそうか?と。
その前提は正しいのか?と自分で気づく。

特に話をする相手として良いのは、うなずかない人、話を聴いていない人。
こういう人には、かなり話に自信がないと、しゃべれない。
しどろもどろになりながら、話していると足りないことが見えてくる。

本当にそうかと、自分で深く考えてみる。
当事者に話を聞いてみたり、現地に行ってみる。その状況に自分を置いてみる。
そして、めんどくさい作業になるが、他人が読むことを前提にして文章にしてみる。

たぶん、大学の先生は試行錯誤を突き詰めて、自分の知識を論文という形に整理するから、
その分野の権威になっていくのだろう。

さて、自分もしどろもどろになりながら、とりあえず書くことを続けよう…
と宣言してみる。
継続する力を誰かください(笑)

やりたいことができないのが会社

会社は、やりたいことができないところだなぁと最近思う。

会社としたら人が足りないところに配置したい。
仕事の中には人によってはつまらないと思われるものも当然ある。
だから、いちいち個人の都合なんて聞いてられない。
とりあえず、言われたことをやれと。
会社の立場で考えると理解できる。

だが、個人として考えると別だ。

たんぽぽの種は、風に飛ばされて至ることころに運ばれる。
それがアスファルトのスキマだろうが、どこだろうが。
たんぽぽの種は自分の道を決められない。
ここ俺の居場所じゃない、とタンポポの種が言ったところでどうしようもない。
どうにかして生き延びて、その場所で子孫を作らないといけない。
アスファルトを押しのけて。
それこそ命がけで。
すると、ほとんど競合がいない場所で、太陽を独占できる。
たんぽぽは、個々のタネの希望を聞かずに、ありとあらゆる可能性にかけたのかもしれない。

とはいえ。
そもそもたんぽぽの種は自分の意思がない。
だから、そこで生き延びるしかない。
が、人間は違う。
人間には、意思がある。
そして、人間には生きる場所を変えるための手段がたくさんある。
状況を受け入れて、そこでやることが本当にいいのか。
限られた時間をそこに費やしていいのか。
やっているうちに面白くなることも経験上、たくさんある。
自分の狭い視野だけで考えたことよりも、可能性がうんと広がるだろう。
でも納得できない。

なぜか。

おそらく、他人に自分の運命を決められていることが嫌なんだと思う。
自分の道は自分で決めたい。
だから、納得がいかないのだろう。

やりたいことを自分で決めて、貫いたとき、そこには競合がいない自分だけの場所があるかもしれない。

みんなが、自分のやることは自分で決める、そんな会社が増えてほしい。


あ、自分が会社を変えればいいのか。いや、作ったほうが早いか。